「人を見下すことは自分自身を見下すこと」
カフェで一人待つ時間。
イヤホンを外すと回りの人の沢山の話し声。
どれも人の悪口や噂話ばかり。
私はそれにウンザリして、後でその事を夫に話す。
すると夫は「影で言ってる今、君も彼らと同じだね」と。
正論だけで同調してくれない彼に私はやり場のない思い。
一人になって考えた。
何で私は苦しい気持ちになったのか。
私の出した答えは…
カフェにいた彼らが話していたグチ。
それを私が醜いと思ったのは自分も彼らの気持ちが解るからだ。
人の悪口や噂をすることを「みっともない事」として、自分の中に封印していた。
だから、それをしている彼らを醜いと感じたのだと思う。
「みっともない事」をする人間をレベルの低い人間と蔑んでいる。
だから、もし自分が同じことをしてしまったり、同じだと言われた場合に、
「レベルの低い人間」と蔑まれたような感覚になってしまう。
自分が嫌だと感じる人の行動は、全て自分の中にも欲求がある行動だと思う。
怒鳴る人は嫌いでも、自分も怒鳴りたい時はある。
人を助ける夢を見たかと思えば、人を殺す夢を見ることだってある。
きっと、一人の人間の中には理解しうる全ての善悪が備わっている。
ただ、人には何を好み何を嫌うかの違いがある。
自分の中に黒から白まで無限に広がる色の中で何色を選ぶかという違い。
自分の目指す方向の人間を上、その逆を下と、自分の中でレベルづけして人を見てしまうなら、
自分自身の半分を否定することになる。
人を見下すことは自分自身を見下すこと。
それはとても生きづらく、理解を遠ざける事になると思う。
今日の夫のように、理路整然と物申す気持ちも私には解るし、カフェで愚痴ってしまう彼らの気持ちも解る。
他人と自分の境界線なんて曖昧で良いのかもしれない。
私は貴方で、貴方は私。
色んな気持ちがあるけど、全て私の中にも貴方の中にも存在するもの。
蔑むことに意味などなく、むしろ愛すべき自分の一部なのだろう。